時代劇は時代おくれ?

12月14日は赤穂浪士討ち入りの日です。昔はこの時期になると、毎年のように忠臣蔵のドラマを放送していたもんです。2時間ドラマどころか、二夜連続放送なんて年もあった。

今にして思えば豪華キャストはもちろん、小道具も脚本もお金がかかっていて見ごたえがあったな~。近年、時代劇が減った(というかほぼなくなった)のは、需要が減ったのもあるでしょうが、なにしろ作るのにお金がかかるからだそうで。

セットから衣装から、現代物と違って今あるものでお茶を濁すことができないんだから、そりゃそうだ。着物にかつら、馬も用意しなきゃだし。製作費がダンチなのはわかります。

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ハリウッドの底力を見た

そういえば、今年、エミー賞を受賞したメイド・イン・ハリウッドの時代劇「SHOGUN」は、1話あたりの製作費が数十億円だそうで(ウィキペディアより)。ため息が出らぁ。

アメリカで日本の時代劇を撮るわけだから経費がかさむのは当然としても、それにしてもお金をかけている。セリフは全編日本語、小道具にもこだわったそうです。

海外の映画に描かれる”なんちゃって日本”には失笑することも多々ありますが、「SHOGUN」の製作にはアメリカのエンタメ界の底力を見た思い。真田広之もがんばったらしい。

討ち入りドラマを気合を入れて作れた時代というのは、まだ日本も活力があった時代なんだなぁとシミジミ。それだけ金払いのよいスポンサーがついたってことですから。

今、金に糸目をつけずに時代劇を作れるのは天下のNHK様ぐらいでしょうが、大河ドラマをチラっと見ただけでも、脚本や時代考証、セリフ回しがひどくてなぁ。セットや衣装は豪華なんだけど。

大岡越前(加藤剛)、木枯し紋次郎(中村敦夫)、必殺仕事人(藤田まこと)

この三作の主役はほかの演者では替えがきかないと思っています。異論は認めます。

「大岡越前」は高校生の頃、夕方の再放送を楽しみに見ていました。越前の父親役の片岡千恵蔵、同心の大坂志郎もよかったけれど、たまに出てくる山口崇の殿様がやけに光っていて、「タイムショック」の司会者としてしか知らなかったので意外でした。後年、森茉莉の『ドッキリチャンネル』を読んでいたら、

山口崇という役者は、不思議な役者である。殿様役が抜群なのだ。決して暗愚ではない、賢い殿なのだがどこかに、下情に疎いような処が見えていて、(中略)どこから見ても、殿様になるべくして生まれ、殿さまの地位にずっと着いていた人物に見える。

とあり、私が受けた印象と全く同じ評が書かれていたので、高校生だった自分の観賞眼もなかなか捨てたものではないと、ここに自画自賛しておきます。まさに「賢いけれど下情に疎い」という殿様を、あれほど自然に演じた役者を寡聞にしてまだ知りません。

「木枯し紋次郎」にしても、撮っていたのは市川崑ですからね。もう、山道とか一膳めし屋とかめっちゃリアル。めし屋で、イワシの丸干しが皿にも乗せずにゴロンと出てきたときのリアルさといったらありませんでした。めしを盛る茶碗も衣装もちゃんと小汚い(褒めてます)。

今どきの時代劇はここらへんの演出がとても雑。画面が一気に安っぽくなる。神は細部に宿るんやで。

「必殺仕事人」の中村主水も、ターゲットにへいこら接近して油断させておいてブスリと殺ったりしますが、主水の「おめえはこんな死にざまで十分だ」と言わんばかりの、無感情とも冷酷ともとれる表情がすばらしい。視聴者にカタルシスを与えるのです。主水の紋付羽織のくたびれ加減も、わかってんな、って感じです。

教養としての時代劇

討ち入りドラマといっても別に肩ひじ張って見るものではなく、あくまで娯楽というか季節の風物詩というか。忠臣蔵の話も親世代にとっては常識だったので、一緒にドラマを見ることで自然に刷り込まれていったわけです、我々世代までは。

これからはどうなるんですかね。そもそも赤穂浪士の討ち入りを知らない世代が増えれば、季節の風物詩としては認識されていかなくなるかと思うと、ちょっと寂しい。

教科書には載っていても、大げさに言えば、日本人としての教養が失われていくというか。12月の風物詩はクリスマスだけじゃないんだぜ。

いまや、ハリウッドでつくられる時代劇のほうがお金がかかっているなんてねぇ。

日本で時代劇が作られなくなるということは、小道具や演出といった製作ノウハウも継承されず、いずれ失われていってしまうのでしょう。

残念なことではありますが、これも時代の流れ。まあ、あっしにはかかわりのねえことでござんす。


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