その日は突然やってくる

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雑記ブログから介護ブログへ?

いや~、久しぶりのブログ更新。気が付いたら最後の記事からひと月半経ってたわ。父親が救急搬送されてからの~入院・退院からの~考える余裕もないまま介護生活突入で、ブログどころではなかった。

今も病院通いやらケアマネとの応対やら落ち着かない日々だけれども、少し時間ができたのでなんとなく再開。

日々、振り回されっぱなしなのは今も変わらないんですけどね。

認知症老人のやっかいさ

「崖っぷち介護」というのは誇張でもなんでもなく、軽度とはいえ認知症老人×2の介護というのは、ちょっと自分でも大丈夫なのかと思わないでもない。

多分、肉親の情というものがなければ、二人とも施設(と病院)行きだったでしょう。

名ばかり長男の弟(というかその妻)はさっさと施設に入れて「管理」を名目に両親の預貯金をガメるつもりだったし(これについてはひと騒動あって、いずれ書くつもり)。

母親は以前から「施設は絶対イヤ」と強く主張していて、父親も退院して自宅に戻ってから、みるみる回復したし。

自力で歩けるようになった父親を見ると、住み慣れた我が家に帰ってきた効用は大きいのだろうなと。

ただし、本人はイマイチそのありがたみがわかっていない。いや、少しはわかっているのだけれども、なにしろ態度が横柄。

手がかかる割に態度がでかいので「誰のおかげで家に帰ってこれたと思ってるんだ(怒)!」とキレる私。

現実はドラマのようにきれいごとでは済まないのです。まあ、正気のときは普通に話が通じるので、なんとかやっていけてる状態。

認知症老人には慣れた環境が一番

父が救急搬送された病院からは(急性期病院なので病院側は早く退院させたい)退院後の行先として、やたらと老人病院への転院を勧められました(積極的治療はなく老人ばかりの病院)。

転院させれば、私はラク。ただ、父親は高確率で寝たきり状態になったでしょう。

そして母親。今は身の回りのことは自分でできるものの、日々壊れていっています。施設に入れれば一気に症状は進むでしょう。ただ、被害妄想と暴力が出てきたので、手に負えなくなる日は意外と近いのかも。

しみじみ実感するのは、認知症の老人にとって「暮らしなれた環境」というのがいかに大切かということ。新しいことが覚えられない、適応能力がなくなった人間には「以前と変わらないこと」が重要なのです。

ゴミ箱の位置ひとつ変えるだけで、ゴミが捨てられなくなる。なので、極力環境を変えないようにしています。(ただし、本人も忘れているような不要物はじゃんじゃん捨てている。そうしないと片付かないので)

面倒みきれなくなったら施設に入れるしかないにせよ、なるべく自宅で過ごさせてあげたいと思っていますが、本人たちには伝わっていない様子。子の心、親知らず。

それにしても、正月に帰省したときより二人して急速にボケが進んでいる。このスピードは一体何なのか。

とにかく今は淡々とできることをやっていくしかないかなと、修行の境地なのです。

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