父親に認知症の診断が出た! まだ軽度だけど。母親は診断は出ていないものの、物忘れはなかなかひどくてこっちも心配。短い期間に怒涛の展開だったので、頭の整理をつけるために備忘録を兼ねて書きますわよ。
大車輪で働いた。自分で自分をほめてあげたい
1週間ちょっとの帰省の間に父の病院付き添い2回(ほぼ1日仕事)、ふだん行き届かない箇所の掃除(台所まわり、風呂釜、神棚、壁付扇風機の埃とりなどなど)、草むしり、毎日の夕飯づくりに地域包括支援センターへの連絡、薬局へ薬をとりに行き……。いや、我ながらよく働いた。
てんやわんやの帰省を終えて帰京してたまった仕事を片付けつつ、合間にかかってくる包括支援センターからの電話にも対応。
父親、電話に乱入する
今回の検査結果を見て、医師になるべく早く地域包括支援センターに電話したほうがいいと言われた。今、混雑しているので、申請から認定まで2か月ぐらいかかるんですと。
検査結果の出た翌日には帰京しなければいけなかったので、病院から帰るなり腰を下ろすまもなくセンターに電話。
電話でいろいろ説明している最中、父親が乱入。要は、自分はまだ支援を受けるほどではないということらしい(ボケていることもあるが、偏屈で新しいことを嫌う性格のせいのほうが大きい)。
包括支援センターの人とともに説得するのにひと苦労。喉カラカラ。センターの人、長々とすいませんでした。
甘やかしが生み出した「名ばかり長男」
最初に包括支援センターに電話したのが私だったので、なし崩し的にセンターやケアマネさんとの窓口担当みたいになってしまい、主な介護者として扱われだす。
もろもろの書類に郵送でサインを頼まれるに至って「このままでいいのか?」と、フト立ち止まる。
一人っ子だったらむしろ楽なんだけど、弟がいるんですよ。末っ子長男の「名ばかり長男」が。
長男といいながら妻の実家の近所に家を建て(費用の半分はうちの親が出した。妻側の親は一銭も出してない。母は反対してた)、車で1時間半ほどの距離を「遠いから」と言ってうちの親は絶賛放置中。
弟の妻は自分の実家と頻繁に行き来して、ぐーたら主婦生活を満喫しているというのに。母親が数か月入院したときでさえ、お見舞いに1回来ただけで、一人残された父親の生活はほったらかしだった。
家を建てた当初こそ「お義父さんとお義母さんには足を向けて寝れないわ」とか言ってた弟の妻。足を向けて寝るどころか、後ろ足でザクザク砂かけてますがな。
カモにされるうちの父親と弟もバカなんだけど、とんでもないモンスター嫁も頭痛のタネなんです。
出し入れ自由の「長男至上主義」
父親は男尊女卑思想に凝り固まっているうえに弟を溺愛しているので、「長男だから」という理由で兄弟格差が露骨な家庭で育ちました。
この「長男至上主義」、出し入れ自由なのがタチが悪い。面倒事や責任が生じることになると「長男だから」はどこかにふっとび、お姉ちゃんにお鉢が回ってくる。今回の書類のサインもそう。
家を建てる時の援助はしっかり受け取り、義務は放棄している弟夫婦。書類のサインを私に頼む父親も父親である。こういうことこそ長男の出番だろーが。
というわけで、センターの対応と書類のサインは弟にぶん投げました。センターの人も、弟が隣県にいると伝えると「そうだったんですか」と驚いたようす。「名ばかり長男」から「ステルス長男」にさせてたまるか。
弟に電話でかくかくしかじかだから書類がそっちに行くと伝える。話していると妻に洗脳されかのような得手勝手な理屈がポンポン飛び出し、呆れるとともに怒髪天をつく。怒りのあまり不眠。
生協はイヤ、ネットスーパーもイヤ
今回大きかったのは、父親がいよいよ医師から車の運転を止められたこと。母はとっくに免許返納済み。車がないと買物にもいけないド田舎なので、ただちに食料調達にも困る事態に。
こうなることを見越して生協やらネットスーパーやらを勧めていたのに、父がことごとく反対して話が前にすすまない。日々の食糧をどうするつもりなのか。
ほんとにやっかいな親父である。ケアマネさんも早くもお手上げ気味だったもんなぁ。
結局、ネットスーパーを半ば強引に押しきって納得させ、以後、私が御用聞きとなって母に必要なものを電話で聞き、実家に食料を配達してもらう日々。
あの爺さん、自分も食べるのにどうするつもりだったんだ。
とはいえ今回は交通費+αをくれるという配慮があったので許す。こういう判断がまだできることに安堵する気持ちもある。