服薬が正しくできない
どうも、母親の散髪をしてあげたらお駄賃¥2,000をもらったねじねじ草です。
母親は数年前、物忘れがひどくなったので医者の診察を受けたのですが、「年相応」とのことで特に治療もなく今に至ります。
現在は年相応という以上にいろいろおぼつかない感じです。洗濯や掃除、簡単な食事づくりなど身の回りのことはできるものの物忘れがひどく、持病の服薬も正しくできません。
薬を飲んだことを忘れてまた飲もうとするので、危なくて仕方ないので私が管理しています。
薬の管理と言えば、父親の服薬も管理しています。これは種類が多すぎて私も頭がこんがらがったぐらいなので、まだらぼけの老人にはまず無理。健常な年寄りでも厳しいと思う。
加えて父親に薬を渡すとどこかにしまい込んで、あげく自分でしまった場所を忘れるということをやらかすので、どっちにしろ私が管理しなくてはいけない。
一事が万事、こんな調子でとにかく手がかかるんですわ。
対策って何ぞや?
世に出回っている認知症のニュース記事やらなんやらを読むと、かならず「早期に発見して、対策を行いましょう」と書いてある。
かたや、「認知症にはこれといった決定的な治療法は確立していません」みたいなことも目にする。
一体どっちやねん、と。堂々巡りな感じ。現にうちの母親は早期に医師に診せたわけですが、特になんの治療も行われなかったわけで。医師の技量にも左右されるんでしょうかねえ。
それに、日常生活がなんとか送れているうちは「軽度認知障害(MCI)」ということで、厳密には「認知症」ではないらしい。
「認知症」の定義もあいまいなら、決定的な治療法も確立されていないということで、要はまだわかっていないことが多いということです。
あと、母親はものすごく耳が遠い。これも認知症と関係があるようなないようなことが書いてありますが、コミュニケーションが取りづらくなるのは確かなので、思考力にも影響するのかなあ?
めっきり声に張りがなくなってボソボソしゃべる父親と、耳の遠い母親の会話はカオスです。内容が嚙み合っていないままなんとなく会話が進むのが面白い。
とはいえ、話が伝わらないことにどっちかが怒り出すこともありますが、最近は通訳するのも面倒なので放置。
自分の将来を見るようでつらい
まだらぼけ両親の世話をしていて思うのは、自分もこんな感じでぼけるんだろうかということ。遺伝子は確実に受け継いでいるわけだから、どっちかのパターンでぼける可能性は高いと思うと、ため息しか出ませんわ。
将来の自分のぼけ方のシミュレーションを見せられているようで、意気阻喪することは甚だしいものがあります。
ただ、母方の祖父はかなり長い間寝たきり状態だったにもかかわらず頭はしっかりしていたそうなので、隔世遺伝にかけるか~。
ホームセンターに行ったらトマトの苗が半額だったので、つい買ってしまった。鶏糞は入れておいたけど石灰もまかずテキトーに植え付けすぎたので、実がなるかどうかは神の味噌汁、じゃなくて神のみぞ知る。